2016年11月27日日曜日

鬼太郎空港降りた時から~♪気分は早くも妖怪モード(^^ 



鬼太郎とツーショット


私は日本の占領期【1954(昭和208.14ポツダム宣言受諾―1951(昭和279.8サンフランシスコ講和条約発効までの間)に小学生時代を過ごした。

テレビなぞ無かった時代の子どもたちの娯楽は飴売りおじさんの紙芝居か貸本屋の漫画本であった。黄金バットの紙芝居と並んで人気があったのが怪奇(幽霊物)紙芝居だった。私はもっぱら貸本漫画で手塚ワールドに浸っていてその時は水木漫画に縁がなかった。

縁ができたのは子どもを通してである。漫画本のせいで子どもたちが勉強しなくなったといわれ漫画が悪者になった時代があった。

私は自分の子どもに漫画を読みたいだけ読ませた。自分の経験から漫画は子どもにとっての「心のおやつ」だと思ったからだ。今では電車の中で子どもはスマホで大人の男が漫画本を読んでいる。

さて、今回水木しげる記念館で「ゲゲゲの鬼太郎」の元が「墓場の鬼太郎」でそのまた元が当時人気だった紙芝居の「墓場奇太郎」にあったことを知った。なるほど因果は廻る風車。

ねずみ男と握手

記念館の解説者によれば親・子・孫の3代にわたって知られている漫画家は水木しげると長谷川町子なんだそうな。手塚治の大ファンとしては異論を唱えたら「テレビで今も放映されているから」とのこと。テレビは今なお強し!子どもと老人にとっては。

それにつけてもテレビは1953(昭和28年)から放送開始されたようだが1954年(昭和29年)街頭テレビで力道山プロレスが放映されてからあっという間に普及したように思う。


可愛らしい死神と

そんなわけで今回の旅、気分は懐かしき子ども時代に戻って水木ワールドを探索する。境港駅から続く水木ロードではブロンズ像の鬼太郎&妖怪達のお出迎えだけでなく本物?の鬼太郎や猫娘、死神もぶらついていて結構嬉しい。

明るい元気な妖怪ばかりとしか出会えずいささか残念。怖い妖怪とも会いたかったのだが。

足立美術館


その後ついでに安来にある足立美術館に向かう。日本一鑑賞料の高い美術館として有名だ。そうそうミシュランガイドにも載っているとか。よくぞこの地にこれほどの日本庭園を造ったものだ。日本画のコレクションも高価そうな作品ばかりだった。私は庭も絵もさりげなくそこにあって気持ちを寛がせてくれるものが好きだ。まあ、普通に物見高い人には一見の価値はあるが。

私としては境港で摩訶不思議な妖怪体験をもっとしてみたかった。ということで境港にはまた行ってみたいと思っている。こんどはもっとカニを食べて来よう。

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