2016年9月4日日曜日

羽黒山神社で石川雲蝶の龍発見!か?

南魚沼の穴地十二大明神 正面の龍の彫物

羽黒山厳島神社の社 正面の龍の彫物


 雲蝶の龍!?

数年前、奈良の吉野にやく小角おづぬ634-701伝)が開祖とされる修験道の本山、金峰山寺を訪れたことがある。その時それより古いとされる羽黒派古修験道場が出羽三山にある事を知った。なんでも崇峻天皇3番目の息子蜂子皇子(562-641法名弘海 日本書記による)が開祖なんだとか。なんと彼の墓を最近まで宮内庁が人を置いて管理していたと聞き驚愕。1400年も前の、たかが墓に人ひとりが見張るなんて!なんで?

話を戻す。父の天皇が曽我馬子に暗殺されたので(592)彼は従弟の聖徳太子の助けを借りて丹後由良より脱出。海路、鶴岡由良にたどり着き羽黒山に登って修験道場を開いたそうである。
もともとこの国には自然と祖先を敬う神への信仰心があり山岳信仰の修験道の本となっていた。そこに538頃光輝く金色の仏像とともに仏教文化が入ってきたことでこれを取り入れ更なる安心と守護を神仏双方へ願ったのである。外来の物に憧れる。いつの時代でも人の気持ちは同じようなものだ。

前振りが長くなってしまった。ある日出羽三山からお呼びが掛かった。というのは私の一人勝手な解釈なのだが、とにかく8月中までに行かねばと決心したのは確かである。
 頂上に万年雪が残る月山には8合目の中の宮、弥陀ヶ原湿原までしか行かれなかったが湿原からは山々に囲まれた庄内平野が見渡せた。秋にはこの平野が黄金一色に輝くのだろう。「日本の稲作」こそは「世界遺産」に登録されるべきだと私は思った。
湯殿山ご神体はお湯があふれ出る銅色の岩山である。お社は無くお祓いを受けた後それを裸足でぐるっと廻るとお参りしたことになる。この事は「語るなかれ」「聞くなかれ」とか。誰がいつ頃からそんな事を言い出したのだろうか?神秘性を高める事で多くの人達に参拝してもらいたいと願ってか。湯殿山には素朴で純真な日本人の自然信仰が残っていた。

最後にここに来れば月山、湯殿山にもお参りしたことになる都合の良い三神合祭殿のある羽黒山に向かった。
2446の石段を上がり鳥居を抜けたところに厳島神社の社と蜂子皇子の社と称されるお社があった。そこで勢いのある素晴らしい龍の彫刻を見つけた。東洋のミケランジェロ雲蝶作ではないか?昨年10月、石川雲蝶(1814-1883)の作品群を魚沼市内にある永林寺、西福寺開山堂、穴地十二大明神と見て回っていた私の目にはそう見えたのだ。そしてまたふたつの社は明治元年(1868)からの廃仏毀釈でお堂から社に名前を変えたのではないか。これから良く調べてみたい。真相を知っている人があれば教えてください。


0 件のコメント:

コメントを投稿