2015年3月30日月曜日

プノンペンのキリング・フィールド


トゥール・スレン虐殺博物館 


戦後70年。
当時2才であったが、ギンザの焼け野原と進駐軍の行進は今もはっきりと覚えている。
戦後しばらくは浮浪児も傷痍軍人もよく見かけた。
さて30年前。NYタイムズ記者の眼から描かれた映画「キリング・フィールド」でカンボジア内戦の様子を知った。映像が刺のように心に突き刺さった。
そして25年前。アンコールワットを訪れた時、小さくやせ細った子ども達が裸同然で物乞いする光景を見せつけられた。が、しょせん私には他国事であった。

それから10数年の後。
カンボジアの孤児たちと京都の清水寺で再会し縁を感じた私は、毎年井戸を贈ることにした。
今までで10基、シェムリアップ周辺の村に作った。すべて自分の眼で確かめている。
カンボジアもポルポト時代から30有余年経とうとしている。最近、カンボジアを舞台にした投資詐欺話がニュースなった。経済発展が著しいとも聞いた。そんな事もあり今回初めて首都プノンペンに寄ることにした。
昨年秋、支援している「だるま愛育園」の設立者内田さんが長い病床の末亡くなられた。縁のきっかけとなった彼の墓参と井戸の出来上がりとだるまの子ども達の様子を見にシェムリアップ行きを決めた。事のついでにプノンペンのキリング・フィールドを見てこようと思ったのだ。



チュンエク キリング・フィールド


「これがキリング・フィールドの映画で見たようなゴーストタウンになった町だったのか???」。
町は車はもちろん、バイク、トゥクトゥク、自転車、人が溢れエネルギーに満ち満ちていた。交通渋滞に加え埃もひどくて空気が悪い。東京の50~60年前を見たような気がした。
メコン川沿いはおしゃれな空間で隅田川リバーサイドテラスにいるような気分にさせられた。都市は世界中ほんとにどこも同じだとあらためて感じさせられた。
先ず中心部にある歴史上の事実を証明するトゥ-ル・スレン虐殺博物館(元高校の建物)を訪れてみた。なんとも形容する言葉が見当たらない。キリング・フィールドの映画を見た時に感じた刺の痛みに似た感覚が蘇った。拷問室と化した教室は人人人で混んでいるにもかかわらず寒々としていた。建物の壁や床には永久に取れることは無いであろう血痕が残っていた。私は合掌し、そしてすべて直視した。見終えた後、突き刺さっていた刺は取れ痛みは無くなっていた。『来て見て感じられて良かった』

チュンエクのキリング・フィールドは近郊にあった。現地はのどかな田園風景が広がりクメール・ルージュの狂気の殺戮場所とは思えなかった。

しかし、その中に一歩入ると心臓が痛くなった。熱い日差しにもかかわらず冷い気が漂っているせいだろうか。体の表面は熱くて汗をかくのだけれど体の芯は冷たくて寒い。無数の霊気が感じられる。ここでも合掌をしながら見て廻った。私は祈りを込めた念珠を殺戮の木に捧げた。涙が出てきた。合掌。ここプノンペンのキリング・フィールドでの歴史的事実も戦後70年の日本が犯した歴史的事実も『己()のために人は人を殺す』と言う点では同じ事なのだ。





窪みに座する供養菩薩に守られて集う人々の顔が見えませんか?





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